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令和6年10月15日


退任まで一カ月

 月日のたつのが早いもので、私の今任期もあとひと月、11月15日で町長を引退いたします。、来月は、最終号となってしまいます。町民の皆様はじめ多くの人にお付き合いしていただき感謝の気持ちでいっぱいです。

 町長就任の昭和56年4月以来、この欄に、その時々の話題、私の町づくりに関する考えや政策等書いてきました。皆さんに目を通してもらうと共に、また皆さんからも私への意見や提案もいただくように、皆さんとの対話、意見交換のきっかけの場となればと設けてもらいました。44年間、527回の長きににわたりましたが、過ぎてみると短くも感じ、感慨ひとしおです。町政と町づくりへのご支援、そして、私に長いことお寄せいただいた支援、心からお礼申し上げます。

 振り返ってみますと、その時々様々な出来事、たくさんの話題が甦ってきます。就任間もない二年目の昭和57年8月1日には町が壊滅的に打撃を受けた台風10号の襲来を受けました。平成10年からは、平成の合併を国から突き付けられる中、単独行を決断しました。そして今、わが町は国、J℞東海が目指す新時代に向かってのリニアモーターカー建設の一大工事の真っただ中にいます。そして、夢であった町の行き止まりの状態の解消、奈良田―南アルプス市への周遊自動車道路の建設も実現に向かって進んでいます。厳しくも早川町の次の時代へ向かっての基礎となるこのような事業が活発に進んでいて条件不利地域の解消を目指しています。国中が人口減少化を迎えている中で、私たちの町、早川町はそれを乗り越えていく将来に向かっての可能性と希望が湧いてきていると確信いたします。森林の価値が失われ、水力発電の就労の場も奪われ人口の流出による過疎化も進みました。こうした中で、常に自分たちの町をどう守るか、どのようなまちづくりを目指すべきかを自問自答しながら、みんなで町を守り築き今日を迎えています。

 「歩んだところが道になる」「明日を信じて町づくりを進める」信念で、皆さんのご支援をいただき町長職を全うさせていただきました。多々至らなかった点はお許し願います。これまでの町づくりの上に、さらに町民全員で心を一つにして早川町の新時代を作ってくれることを信じて止みません。全てにわたりありがとうございました。

令和6年10月15日 町長 辻一幸

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