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早川町長期総合計画


計画策定の趣旨

 早川町は、1956(昭和31)年9月30日に明治の合併により発足していた五箇村、本建村、硯島村、都川村、三里村及び西山村の6村の合併により誕生しました。

 早川町では、あらゆる生き物にとって命の源である水を生み出す河川上流域(上流文化圏)の価値と役割をもう一度見直し、また地域住民もその価値や役割に誇りを感じ、地域の自然、歴史、文化に根差した暮らしを守り伝えていく理念のもと、1994(平成6)年に第4次長期総合計画として「日本・上流文化圏構想」を策定し、以後現在に至るまでまちづくり、ひとづくりに取り組んできました。

 しかしながら、都市圏への人口流出に伴う人口減少と少子高齢化、地球規模の環境の変化に伴う大規模災害発生の可能性、新たな感染症への対策、厳しい財政状況などの多くの課題に直面しており、これらの課題への対応が求められている状況にあります。

 こうした中、人が生きていくうえでの幸せとは何かを根底に考え、経済的な豊かさから精神的な豊かさを求める意識変化を捉えながら「早川町の未来」を見据えた持続可能なまちづくりのため、「第4次日本・上流文化圏構想(第7次早川町長期総合計画)」を策定します。

第4次日本・上流文化圏構想 第7次早川町長期総合計画(令和3年度~令和12年度)
第4次日本・上流文化圏構想 第7次早川町長期総合計画(令和3年度~令和12年度)概要版

はやかわのまちづくり(総合計画 子ども版)


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