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令和5年10月


「講中宿赤沢」重伝建指定30周年記念

 国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に選定されている「赤沢宿」は、今年で早いもので30周年を迎えています。地元は、人が減るなかで、一丸となって宿を守り、街並みを維持してきたことに感謝を申し上げます。

 夏、この記念イベントが11日間にわたり行われました。行事のメインの一つに、地元で活用してきた油障子の伝統を生かして、油障子美術展を行いました。江戸屋、大阪屋、清水屋、の三軒の保存家屋にライトアップをし、夏の夜の赤沢宿を自然の闇の中に浮き立たせ、より赤沢宿の印象が話題になりました。作品は、画家の伊東正次さん、棚町宣弘さん、映水さんをはじめ地元身延高校から県内8高校の美術部生徒さんたちの参加で、「重伝建の赤沢宿」として広く全国に印象付けることができました。

 赤沢宿が重伝建として国から選定を受けたのは1993年(平成5年)全国で35番目(現在126の選定地域あり)でした。そして、講中宿部門では現在でも赤沢宿が唯一で、町並みの中での特異性において貴重な存在となっています。

 重伝建選定の取り組みは、昭和50年代半ばから地元で始まりました。若い人たちの他出で休止していた村を守る赤澤青年同志会が復活し、赤沢宿の歴史的価値と文化的価値を後世に残すため重伝建の選定に向かっての動きが始まりました。昭和60年に全国町並み保存連盟に加盟し、国への重伝建選定に向かっての作業に町が取り掛かりました。一方で同志会の初仕事は、村を挙げて身延山久遠寺と七面山を結ぶ参拝の往還の赤沢宿中の石畳道の再生が始まりました。平成元年、国の手作り郷土賞・いこいとふれあいの道全国三十選に、平成4年、美しい日本の村景観コンテストにおいて「赤沢宿の石畳」が選ばれました。そして平成5年、待望の重伝建選定を受け今日に至りました。

 30年前、赤沢宿にこの動きが始まっていなかったら、今日の赤沢はどうなっていただろうと思うのは私だけではないように思います。村を守り、生かすことはことは、明日につながること、赤沢宿の町並み保存は、これからがいよいよ本番を迎えるところに来ました。将来にわたり地域が生き残るための地域づくりの代表を目指して、赤沢宿の活性化により一層の努力を続けようではありませんか。

令和5年10月      町長 辻󠄀 一幸

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