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令和4年11月


学校いま、むかし

 学校いま、むかし


 サンニチ新聞がシリーズで、進む人口減少と少子化の中で県下の各自治体の小、中学校の沿革の報道を始めています。早川町の記事も掲載されました。

 昭和31年、6ヶ村が一つになり早川町が誕生したとき、旧村毎それぞれに小、中学校が、それに加え小学校の分校が西山地区の奈良田分校、三里地区の茂倉分校、硯島地区の室畑分校、大島分校と、合計16の学校が存在しました。町は、昭和35年の国勢調査人口約1万600人から、昭和55年には3005人に減り、このうち15歳未満の人口は、15パーセント、児童生徒は360人となりました。この間、学校は、五箇、本建地区に大島分校を加えた南小学校と南中学校が、北でも西山、三里地区の学校を統合し北小学校と北中学校という統合校が誕生しました。

 児童生徒の減少が続く中で、町と議会においては、将来にわたって適正規模の学校配置はどうあるべきかが論じられ、小学校を北と南に一校ずつ、中学校は南北を統合し町の中心に一校という結論に至りました。

 昭和57年に、都川中学校が統合中学校を前提に「早川中学校」と校名変更がなされ、そこに硯島中学校、昭和60年、早川北中、早川南中が統合していきました。小学校においては、昭和58年、硯島小学校が南小学校に統合して二校体制ができ、現在に至りました。こうした中で、それぞれの学校の整備と環境を整え、山村留学を導入して、小規模ながらもそれぞれが地域と学校が一つになり頑張ってきています。

 学校があるから地域がある。学校があるから人が住める。教育が地域を守り地域を活性化していく。早川町の町づくりと教育行政の重要な課題として取り組んできました。


令和4年11月      町長 辻󠄀 一幸

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