▼本文へ

▼総合メニューへ

日本で一番人口が少ない町 早川町日本で一番人口が少ない町 早川町

背景色

文字サイズ

  • 標準
  • 拡大
  • 最大
笹山付近から
赤沢宿
湯島の大スギ
早川山菜まつり

町政情報

▲このページの先頭に戻る

このページを印刷する早川町ロゴマーク

▲このページの先頭に戻る

(ソート用番号:0061)※4ケタ数字を半角で入力

令和3年10月


中部横断自動車道双葉―新清水間全線開通

 私たちが待ちに待っていた中部横断自動車道双葉―新清水間(74キロ)の全線のうち最後の区間、下部温泉早川-南部間が難工事の末13キロが完成し去る8月29日全線開通しました。私たちを始めとして長い長い峡南地域の夢がここに実現いたしました。

 振り返ってみますと中部横断自動車道路として構想が始まってから40年近く、そして、1997年、双葉―新東名間の工事着手から24年近くが経過いたしました。太平洋と日本海を結ぶ全線開通(残り長坂ー八千穂間約40キロ)には至っていませんが、峡南地域初め甲府盆地と静岡市が中央自動車道と新東名自動車道と結ばれたことは、この高速道路時代に私たち峡南地域をはじめ山梨県にとっても何にも代えがたい悲願だったと言っても過言ではありません。

 富士川沿いを山梨と静岡で高速道路を建設したいという話は昭和30年代に聞いた覚えがあります。その当時は甲府ー清水間の名称でこの運動が始まったと記憶しています。そして、その後の運動として名称が変わり山梨ー静岡、いわゆる山静自動車高速道路の名称でこの運動は続いてきました。そして、その後、40年代高速道路ネットワーク化を目指す国策の中で現在の中部横断自動車道路としての名前が出てきたのは、構想の段階で、財団法人中央道振興会の昭和46年12月清水甲府間高速道路開発調査報告書の結びの中で出てきたのが初めだと思います。いずれにしても60年以上にものぼる地域の夢の実現だったということになります。

 私たちは町の不利的条件の解消のため、へき地からの脱却を目指して、町づくりの目標として終始一貫この道路実現のためにあらゆる努力をしてきました。海なし県山梨が駿河湾と直結したことにより物流,人的交流をはじめとしてあらゆる交流が活発化し活気が促進されることは間違いありません。沿線上のそれぞれの地域に変化が押し寄せてくることは間違いありません。地域が便利になったという条件が達成しただけに、これをこれからの地域振興にどう生かしていくかが私たちには問われていくことになるわけです。夢と可能性の膨らんでいく中での苦労に、みんなで汗を流していこうではありませんか。感慨ひとしおです。

令和3年10月      町長 辻󠄀 一幸

前のページへ

ピックアップ

▲このページの先頭に戻る