▼本文へ

▼総合メニューへ

日本で一番人口が少ない町 早川町日本で一番人口が少ない町 早川町

背景色

文字サイズ

  • 標準
  • 拡大
  • 最大

注目ワード

笹山付近から
赤沢宿
湯島の大スギ
早川山菜まつり

町政情報

▲このページの先頭に戻る

このページを印刷する早川町ロゴマーク

▲このページの先頭に戻る

(ソート用番号:0074)※4ケタ数字を半角で入力

令和2年9月


新長期計画策定中

 いま町では、来年度からスタートする向こう10年間の新長期計画(第四次上流文化圏構想・令和3年―令和12年まで)の策定作業を進めています。

 長期計画はそれぞれの自治体が、効率的に行政を進めていく計画づくりが国で制度化され、長期計画の策定が始まったのは昭和40年代からで、今回で早川町の取り組みは第7次となるものです。これまでそれぞれの時代を背景として、国の流れに沿って、地元の位置づけをして、将来を展望し、何をしなければならないか、何ができるかを念頭に置きながら一歩一歩具現化を目指し歩みを進めてきました。

 振り返ってみると、昭和58年、第三次長期計画「潤いと活力ある町づくり」(昭和59年―平成6年)が印象にあり記憶がよみがえってきます。

 第二次計画が、昭和55年度からスタートしたのですが、57年8月、忘れもしない町が台風10号に見舞われ壊滅的被害を受けました。町は災害被害額120億円以上、復旧期間5年以上を要す状態が発生いたしました。第二次の平常時の長期計画を持続するわけにはいかなくなりました。そこで災害復旧に努力を重ねる一方で、復旧途上の中、復旧後の町づくりとその先の町の将来を見据えて、多くの町民と対話を続け、第三次、「潤いと活力のある町づくり計画」をスタートさせました。併せて将来に向かっての早川観光ビジョン「南アルプス邑観光計画」も策定してスタートしました。

 この時点の状況は、まさしく大災害の中で廃墟から立ち上がる心境でした。何よりも心強かったことは、皆が大災害にもめげず復興に向かって勇気をもって立ち上がってくれたことでした。私は、この台風の年をこれからの町おこし元年だと位置づけました。

 ゼロからの出発だという考えのもとに、復興計画を基本として町が内蔵するあらゆる資源―自然、産業、歴史、文化、人々―とそれらの可能性の掘り起こしと、将来にわたっての町づくりの努力目標など、住民が安心してまず暮らしていける、人口の定着の課題から、早川町誕生以前の六つの村の新しい邑づくり構想をも作りスタートいたしました。

 この中で、将来にわたっての町づくりに必要な努力目標9項目が掲げられました。既に今日までに実現している課題や実現に向かって進んでいる課題等見るにつけ、長期計画の継続性や夢を追い求めやがて実現に向かって将来を考えていくことがいかに必要で大事なことかを痛感いたします。

 今進めているいる町づくり、そして、目指している町の将来に向かって目指している姿の原点は、今から37年前、この時の長期計画、並びに観光ビジョン計画から出発しているといっても過言でありません。それぞれの自治体において、町づくりの一貫性、永続性は時間を要すかもしれないが大事なことであることを痛感いたします。

 作業を進めている新長期計画は、これからの町の行政推進の核となるべき指針です。時代の変化とコロナ禍という難題をも乗り越えねばならぬ中で、時代はまさに変わっていく時に来ています。町の将来に向かっての夢と希望が膨らみ、そしてその実現に向かっての基盤づくりを着実に一歩一歩進めていく内容を皆さんに示すことができたらと考えるところです。



                                                  令和2年9月    町長  辻󠄀 一幸

前のページへ

▲このページの先頭に戻る