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平成30年2月


学校があって地域が在る

  毎年、年度末になると早川町教育研究協議会で、その年の一年間の町内三校の教育の集大成「早川の教育」が発刊されます。内容は一年間の各学校の取り組みと成果の内容で、先生方の早川教育へのご苦労が伺えます。
今年刊行されると昭和42年から始まり、既に52号を迎えるわけですが、これまでの早川教育の歩みは、貴重な町の歴史の一画をなし、町の歴史そのものです。絶え間ないご努力に感謝をいたします。
当時は国が高度経済成長期に入り、早川町からは人口の流出期が始まりだし、旧村時代(小学校6校、中学校6校)からの学校の存続も心配し出された頃のことです。そして、この間、昭和60年まで人口減少化の中で早川中学校が誕生するまで町の小中学校の教育の充実と地理的困難を克服しながら適正規模の配置を追求し、現在の早川中学校、南小学校、北小学校の姿となりました。
29年度もそれぞれの学校においてたくさんの成果を上げてくれています。南小学校においては、創立50周年という大きな節目の年でした。記念事業にオリジナル曲「ハーモニー序章」が学校をテーマに創られ、これから先、愛唱歌として歌い継がれていってほしいと思います。北小学校では伝統の民話劇の維持や自然科学教育の実施による地域と一体の教育活動が認められ名誉ある教育科学大臣表彰が授与されました。早川中学校では、総勢32人の生徒で県吹奏楽大会で堂々の金賞を得て西関東大会に出場、ǸHk音楽コンクール県大会で銀賞を受賞、体育においても陸上競技部門でみんなが県下で注目される記録を残してくれました。
早川町の町の目標は、厳しい過疎の中で、将来にわたってどのような町づくりを進めていくかが大きな課題ですが、学校の存続と地域の活性化かは表裏一体の町づくりの課題です。「学校があって地域が存在する」「地域があるから学校が存る」これからもこの信念のもとに、町づくりを考えてまいります。

平成30年2月 町長 辻 一幸

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