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早川町の民謡

このページの資料は、『早川町の郷土芸能(年中行事)』(昭和58年3月、早川町教育委員会発行)と、『早川町歌集』(平成2年3月、早川町教育委員会発行)からとりました。

目 次
保金山節 どうづき唄(下湯島・雨畑) どうづき節(保) 木遣唄(雨畑・奈良田)
田植え唄(早川集落) ヨーイヤナー 加賀音頭(えんさー)
八幡おどり唄    

 

奈良田の麦搗き唄

 労作唄
 歌い手(女)かえし(数人)
 臼を中心に男数人がはやしを入れながら麦を搗く


 大正末期までの奈良田には水車がなく脱毅はすべて人力によっていた。とくに麦搗きはとてもきびしい労働になるため、共同作業で仕事をし、そのき苦痛をやわらげた。
大きな臼を遣いて若者たちが杵を振り下ろして麦を搗くが、その時に女性たちはこの麦搗き歌を唄って、つらい作業を助けた。
 山村の素朴でありながらも生活の匂いが強く感じられる作業唄である
 

 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
なんぼ搗いてもこの麦ゃむけぬ
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
これはお倉の下積みか
(ハイ ハイ ハイ ハイ と)
お倉のこれは
これはお倉の下積みか

 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
早くこの麦ょ搗き上げてたもれ
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
忍びおづまが門に立つ
おづまが忍び
忍びおづまが門に立つ
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
逢いばさほどの話もないが
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
かげの想いを知らせたい
想いのかげを
かげの想いを知らせたい

 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
歌いなされよ声張り上げて
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
芦の片葉もそよぐほど
片葉も芦の
芦の片葉もそよぐほど

 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
麦を搗くならおしもの臼で
 (ハイ ハイ ハイ ハイ と)
奈良田湯島へひびくほど
湯島へ奈良田
奈良田湯島へひびくほど

 
歌を聴く・・・『山梨の唄』のホームページより『奈良田麦搗唄』

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保金山節

 労作唄


 この金山節がいつ頃から歌われるようになったものか定かではないが、遠く鎌倉のころから長い歴史を金山と共に生きてきた地区の人々にとって、盆踊り唄などとともにかけがえのない生活の詞であり、心の歌として唄い継がれてきたもので、暗い鉱内での仕事の苦しみや生活の哀歌が即興で歌いこまれている。
 今はすでに金山もなく、長い間途絶えていたものを昭和54年、保甚六会により復活継承された(昭和58年現在)。
 

ハァー
行こかやめよか あの金山へ
ここが思案の 通り雨
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
尾白川さえ 日暮れになれば
はぐれ河鹿が なくものを
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
黄金掘りつつ 落とした涙
しみてこよいも 石が泣く
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
女房よくきけ 間仕切りゃはちだ
湯文字買うのも さらい月(げつ)
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
固いようでも おなごはやわい
やわいようでも 石ゃ固い
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
鉱夫さんとは 知らずにほれた
行けば山奥 小屋住まい
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
鉱夫さんだから 一夜でおちた
人にゃ固いと いっておくれ
 ア チャンキン チャンキン

ハァー
一の晩もよい 二の晩もよいが
いやな三の晩にゃ かかぁとられ
 ア チャンキン チャンキン

 

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どうづき唄(下湯島)

 労作唄


 地搗き、ドウヅキ、また、ドオンヅキともいい、家の建築の時、土台下の地を搗き固める作業のことで、集落総出の協力で多人数の力によって行われたもので、中心になるものが音頭取りとしてこの唄を主唱し、他の者がこれに随唱しつつ、重石または丸太で地を搗いて行ったものである。
 いずれもその胃の隆昌を祈る心が現されている。

この家敷に松が立つ
鶴と亀との舞い遊び
ヨーイヨーイ

西行が西行が
初めて東へ下る時
萩のはね屎こればかり

 

どうづき唄(雨畑)

 労作唄

 

 

大黒様と云う人が ヨーイ
一に俵をふんまえて
二にはにっこり笑って
三に酒を作らして
四つ世の中よいように
五つ泉が湧くように
六つ無病息災で
七つ何事ないように
八つ屋敷を広めて
九つ小倉をおったてて
十で徳利納めたと
エンヤサンヨ
エンヤサンヨ

 

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どうづき節(保)

 労作唄


 家の建築の時、土台下の地を搗き固める作業で集落男女総出で協力した。
これ等どうづき唄は男女の機微や人間模様を軽妙な風刺を交えながら力を集中させる目的で音頭取りを中心に唄った。
 近年、建築方法も変わり、これ等の作業もなくなり、自然と唄もなくなっていった。
 昭和54年、保甚六会によりテープに録音、振付けて復活継承した。

ばかなやろうめと ヨイヨイ
とよくる水は ソコセ ソコセ
かけりゃ夜もくる ソレワ 昼もくる
サンヨナー サンヨナー アリャリャ
コレワイセーノ コノヨーイヤナ

こいと七こえ ヨイヨイ
きちょと八こえ ソコセ ソコセ
きちょの八こえが ソレワ 気にかかる
サンヨナー サンヨナー アリャリャ
コレワイセーノ コノヨーイヤナ

山が高くて ヨイヨイ
あの家が見えぬ ソコセ ソコセ
あの娘こいしや ソレワ 山にくりゃ
サンヨナー サンヨナー アリャリャ
コレワイセーノ コノヨーイヤナ

保とつづらの ヨイヨイ
さかいの桜 ソコセ ソコセ
花はつづらに ソレワ 葉は保に
サンヨナー サンヨナー アリャリャ
コレワイセーノ コノヨーイヤナ

保の金山 ヨイヨイ
ふしぎの山よ ソコセ ソコセ
黄金もどきの ソレワ 霧がたつ
サンヨナー サンヨナー アリャリャ
コレワイセーノ コノヨーイヤナ

 

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木遣唄(雨畑)

 労作唄


 山に囲まれ、明暮を山仕事にすごした町内各地で木材の般出作業に歌われた。
 音頭取りが主唱し、他の者が随唱するかたちをとり、大トビやツルを使って木材を引き出したり、コジたりするとき、多人数の全力を集中するために唄われた労作唄である。

 

(大トビで木材を引くとき)
こんなもんにのまれちゃー
奈良の大仏ー 大仏参りは コーラ
できないぞ

さいてこいやれ
さいた差ぐしだてにはささないぞ

さいてまいれよ
まいりゃ身のため 可愛子のためじゃぞ

(ツルで木材をくじるとき)
ヨンヤコレワイー コレワイ ドッコイ
ドッコイショー オーサンデ
ヤレヤレ コーラ
ヤレコラ ドッコイ ドッコイショー

ヨンヤコレワイー コレワイ ドッコイ
ドッコイショー オーサンデ
少しも動かぬ
絵にかいた地震か ドッコイショー

 

木遣唄(奈良田)

 労作唄

 


山の神のだいもちだァに
後へ三尺たァのみます エンヤラヤ
イヤーノ エンヤラヤー
アホ エンヤラサー ヨイトー
ヨイトー

 

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田うえ唄(早川集落)

 労作唄


 この唄がどこからいつ頃から流行して来たか定かではないが、昔から早川では田植によく唄ったという。
 男衆は馬を使い、あるいは牛をつかい、手こねで代かきをし、女達はそのあとへ多ぜいならんで苗を植えていく。自分の家が終るととなり、またそのとなりとお互いに協力し合って毎日田植が続く。単調ではあるが朝から晩まで長い時間の労働を、唄をうたってやわらげたのがこの唄だったろう。
 早川の集落でも唄える人の数が少なく伝っている。(昭和58年現在)

 

オーヤレ ヤレエヨー
なまけちゃくれちょ 早乙女衆
わしらがにゃ 五斗五升まきの まきの
田がある ソリャ マコト
五斗五升まきの まきの田がある

オーヤレ ヤレエヨー
なまけてうらえ うらえ出てみれば
おいろこが あげはちまきで まきで
あぜぬりだ ソリャ マコト
あげはちまきで まきであぜぬりだ

オーヤレ ヤレエヨー
おいろこさんの さんの田植だで
サクもでかく コダチをしげく しげく
植えたい ソリャ マコト
コダチをしげく しげく植えたい

オーヤレ ヤレエヨー
あねさんやめて やめてわしょもらえ
わしゃつぼみ あねさん咲いた 咲いた
散り花 ソリャ マコト
あねさん咲いた 咲いた散り花

オーヤレ ヤレエヨー
散り花なれど なれど姉がよい
姉はまた ごきりょもよいが よいが
手もきく ソリャ マコト
ごきりょもよいが よいが手もきく

 

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ヨーイヤナー

 行事唄(盆唄)


 はやしから名称が生れたようである。
 歌詞は追分で唄われたものと混同しており、民謡の混雑していく姿がみられる。
 この唄がどのようにしてこの地に定着したか、現存の人たちからはきくことはできない。
 唄える人もほとんどなく上湯島の荒居ぜん(八十八才)が唄えるだけだという。(昭和58年現在)

年は寄りてもヨーイヨイ
まだァ気は若い
孫や手をひけ ソリヤ 出て踊る
ヨーイヤナー
アレワイナ コレワイナ
コノ ヨーイヤナ

惚れて見ろやれヨーイヨイ
金こそないが
金じゃ買われぬ ソリャ 心意気
ヨーイヤナー
アレワイナ コレワイナ
コノ ヨーイヤナ

 

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加賀音頭(えんさー)

 行事唄(盆唄)(えんさー)


 昔加賀の国から六兵衛という人が山仕事で奈良田へ来ていたが顔が醜くかったのに反し、声は鈴を転がすように美しく、そこで村の娘は、いづれも六兵衛を慕っていたが、いよいよ六兵衛が奈良田を去る時、両者が贈答し合ったのがこの歌詩であると云われている。
 現在でも奈良田はもとより上湯島、下湯島のお年よりは盆踊りとか宴席で唄い、踊っている。
 昔は三里地区でも盛んに踊ったと古老は云っている。(昭和58年現在)

加賀の黒谷六兵衛庄屋
おいておでやれ ドウジャイナ
おでやれ ヤーレ その声を
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

おいて行きたいとは思えども
置くに置かれぬ ドウジャイナ
置かれぬ ヤーレ 身が居ねば
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

あいばさほどの話もないが
かげの思いを思いを ドウジャイナ
思いを ヤーレ 知らせたい
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

桜三月あやめは五月
菊は九月の ドウジャイナ
九月の ヤーレ 花盛り
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

思い出しては両手を胸に
あてて毎日 ドウジャイナ
毎日 ヤーレ 泣いている
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

櫛は縁切りかんざしや形見
たすきゃ当座の ドウジャイナ
当座の ヤーレ 縁つなぎ
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

逢わせて下され豊川稲荷川
お礼詣りにゃ ドウジャイナ
詣りにゃ ヤーレ 二人連れ
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

若い時だに何ょ馬鹿らしく
亭主一人を ドウジャイナ
一人を ヤーレ 見ておらに
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

加賀の鹿島に神あるならば
逢わせておくれよ ドウジャイナ
おくれよ ヤーレ いま一度
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

10

お前泣くのもわしょ泣かせるも
お前思案の ドウジャイナ
思案の ヤーレ 悪いゆえ
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

11

加賀のきく酒三杯上がれ
お前ご馳走に ドウジャイナ
ご馳走に ヤーレ 取り寄せた
エンサー ハーソイヤレ
ソイヤレ ジャー

 

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八幡おどり唄

 行事唄(盆唄)


  “ソレコイ”と同様、古くから各地区で踊られていた盆おどり唄である。
 浴衣の背中にうちわをさして、ゆっくりしたテンポで踊る輪踊りである。
 他に娯楽とてなかった当時の人達は、盆の間は毎晩、お寺の庭に集まり、月が山の端にしずむまで踊り、夏の夜をたのしんだ。

ヨーイ ヨーヨイ
盆が来たそで お寺の庭に
コリャ ソーダヨーオ
キリコどおろの 火が見える
コリャ 火が見える

ヨーイ ヨーヨイ
さあさおはいり うしろのおかた
コリャ ソーダヨーオ
はいりゃこの輪が まるくなる
コリャ まるくなる

ヨーイ ヨーヨイ
唄は節より 声より文句
コリャ ソーダヨーオ
人はきりょうより 心もち
コリャ 心もち

ヨーイ ヨーヨイ
踊りゃやめまい 夜中なれど
コリャ ソーダモーオ
月が山端に かぎるまで
コリャ かぎるまで

 

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