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赤沢宿


国選定重要伝統的建造物群保存地区(指定日H5.7.14)

赤沢宿の様子

1 保存地区面積25.6ha(森林、畑含む)
2 伝統的建造物 84戸(主屋、蔵、外便所、付属屋)
3 工作物 39件(石碑、石塔、石仏、門)
4 環境物件 118件(石垣、湧水池、古道)

早川町赤沢は中世の頃から、聖地身延山と霊場七面山を結ぶ参道の宿場として知られて来た。
江戸時代初期、徳川家康の側室・お万の方の功績により、七面山の女人禁制が解かれたこと、同・中期頃になり山岳信仰の富士講、身延講などの講が盛んになったこと等の影響もあり、七面山への参詣者は急増した。また、それに伴い七面山の参道が整い、途中には寺や坊が置かれるようになると、自然と赤沢の宿の利用者も多くなり講中宿場としての形態が次第に整ってきた。

赤沢宿の石畳

明治の初期には参詣客を案内する強力、駕籠人足、荷を専門に運ぶ荷背負い業も増え、赤沢34戸の内9軒が旅籠屋を営むようになったのである。
大正から昭和期にかけて、身延線の開通と共に参詣客が急増し、赤沢宿も隆盛をきわめたが、迂回道路の整備や交通の便が良くなるに従い、昭和30年代頃から宿を利用する者は激減してきている。
選定を受けた赤沢宿は、近世から昭和初期にかけて七面山への講中宿・旅籠として発達してきた。集落にはこの往時の隆盛の過程を示す伝統的建造物や民具が多く、保存状態も良い。町並や参道、敷地の形態、石畳、古道、石段など周囲の山々と良く調和し、歴史的自然的景観をよく残している。
伝統的家屋の建築年代は、古いものでは寛政4年(1792)や、天保4年(1833)の物がある。当時は小屋組構造、平入切妻屋根、草葺き屋根や笹板葺き石置屋根が一般的であった。旅籠屋も平屋であったが、明治中期から大正期にかけで、入母屋2階建に増築されている。


施設情報

見学自由:住宅地なので、ご配慮をお願いします。
所在地:早川町赤沢地内
問合先:早川町教育委員会TEL:0556-45-2547
(8時30分~17時15分、土・日・祝日は休み)

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