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奈良田の七不思議
- 一、『御符水』
- 奈良王様(孝謙天皇)がお堀りになった用水地でどんな干ばつや豪雨でも増減はなく、飲むと諸病に効能があるといわれています。
- 二、『塩の池』
- 塩を得ることに不便を感じられた奈良王様が、八幡神社に祈願されたところ、お手洗池から塩水が湧くようになり、村人はこれを汲んで使用しました。
- 三、『檳榔子の染池』
- 奈良王様がお衣をお染になられた池で、村人はこれで「タホ」布を染めて着ました。タホ布とは、楮(コウゾ)で織った布のことで、仕事着などに使用されました。
- 四、『二羽烏』
- 奈良王様がご遷居中、奈良田には烏が多くいて、畑の作物を食い荒らし、里人を苦しめていました。
奈良王様は、ある日烏を集めて「これからは人間のつくっている作物を食べてはならない」と厳重に言い、10数日して再び烏を集めて全部の烏の腹の中を調べたところ、2羽の烏を除いたほかの烏は、相変わらず作物を食べていたので、奈良王様は大変に悲しんでお怒りになられ「言いつけを守った2羽だけは鎮守の森に住んでも良いが、他のものはここへ置くわけにはいかない。今すぐ他国へ出て行きなさい。この地には永久に烏は2羽だけしか住んではならぬ」と2羽を残して、数10羽の烏を追放されました。それ以来奈良田には、烏は2羽だけしか住まなくなったといいます。
- 五、『洗濯池』
- 厳寒地の洗濯に苦労された奈良王様は、八幡神社に祈願して温かい泉を掘られ、里人の苦労は救われました。
- 六、『七段』
- 奈良王様がお住まいになった王平から早川河原まで自然の七段になっていましたが、奈良の都の七条にならったものだと言われています。
- 七、『片葉の葦』
- 奈良王様が都へお帰りになられるとき、御跡を募った村人と共に葦も皆、一様に北の方を向いて片葉になったといいます。
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