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埋めた金坑(保)

 寛文頃のことと伝えられている。信玄時代の金山最盛時の再現を夢見て、保の十一人の人達が金鉱探しを相談した。「誰が見つけても十一人の者の共有にする」と約束した。

 十一人は山へ出かけた。某は一番のりで登って行った。彼は途中小便のため立ちどまった。小便をしながら見るともなく、あたりを見ると白い地肌に黒い筋が現われている。「おやっ」と叫んで手で掘ってみると金の脈らしい。某はこれを仲間に秘して、そこから一人で帰ってしまった。

 その後間もなく某の暮らしははでになり、次第に人々の目について来て「あいつはばかに金まわりがよくなったじゃないか」という評判が広まって行った。秘かに探ってみると独りで、金を掘っていることがわかった。「約束違反だから殺せ」「いや殺してしまっては、おしまいだから殺さずに、金のありかを白状させろ」等々十人の意見は区区だったが、殺せという声が強くなった。

 これを聞いた某は夜ひそかに山に登り、坑口に大石を転がしこんで、ふたにしてしまって誰にもわからないようにし、朝日さす 夕日輝く石の下に宝をいけておくぞよと息子に言い残して出奔し、その行方は遂にわからなくなってしまった。某が金を掘りあててからの栄華は、実にものすごいもので、屋敷神の社殿は全部金の板を使ってあったと言われている。

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