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栃原堰堤


国指定登録有形文化財(建造物)(指定日H22.1.15)

栃原堰堤

春木川にある30数基の砂防堰堤(土砂の流出を防ぐために作られたダム)のうち、最古のものである。昭和7年着工、8年竣工の本堤、同10年着工11年竣工の副堤*1からなっている。堤長60m、堤高10m、形式は『練り石積み構造による重力式粗石コンクリート造』*2である。
栃原堰堤は我が国有数の崩壊地として知られる七面山からの土石流を受けるものだが、農山村振興工事の一環として建設された*3。春木川は、以前は流路が頻繁に変わる『暴れ川』だったが、砂防工事の充実により、保育所・小学校・観光施設等が並ぶ地域となった。
明治16年、内務省の技術指導者ムルドルは、富士川流域の河川改修に関する意見書を提出した。その意見書には富士川の支流における砂防の重要性が説かれていた。それを受けて砂防堰堤が作られたが、明治時代のものは『空積み』という、石を固めずに積んだだけのものだったため、大水で流され、春木川のものは跡も残っていない。
コンクリート造りの堰堤は大正時代からが作られ始めた。栃原堰堤は当時の姿を留めている堰堤として、山梨県内では、勝沼堰堤、屋敷入沢第七号石堰堤、芦安堰堤とともに国指定有形文化財(建造物)に登録されている。

*1 当初は本堤だけだったが、堰堤から落ちる水の勢いで堰堤根本の川底が削られ、倒壊の恐れが出たため、副提を設けて水の勢いを弱めた。

*2 『練り石積み』とは、石積みをコンクリート等で固めてあるの意、『重力式』とは堰堤の自重で支えること、『粗石コンクリート』とは大きい石を混ぜてあるコンクリートのことである。

*3 当時の工事は重機等がない、手作業によるものだった。本建村だけでなく、都川や馬場、遠くは新倉から現場に通う人もいた。作業員は皆、徒歩で通っていたという。

ーーーーーーーー(参考資料 『やまだらけ No.41』NPO法人日本上流文化圏研究所発行)

なお、平成23年4月、堰堤西端のコンクリートが崩れた部分で、糸魚川-静岡構造線の断層露頭が見つかった(輿水達司・小泉一人・小村寿夫)。


所在情報

見学自由
所在地:早川町大字高住字栃原山
問合先:早川町教育委員会TEL0556-45-2547
(8時30分~17時15分、土・日・祝日は休み)

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